ポップロックの中に忍ばせた平和への願いを。
『愛のことば』が好きです。
“限りある未来を搾り取る日々から
抜け出そうと誘った君の目に映る海”
なんてことない日常を過ごしている私にも充分刺さるものがあり、歌い出しでそんな真理を突いてくる草野さんの言葉の選択にもうひれ伏すしかない。
曲を通じて美しい言葉の羅列だと感じるけど、曲を通してポップさの中に漂う緊迫感がある。海を映す君の目の後ろにあるその光景はどんなものなのか、想像してしまう。
"なまぬるい風に吹かれて"
"今煙の中で"
"彼らの青い血に染まったなんとなく薄い空"
"焦げくさい街の光"
『愛のことば』は反戦歌である、という考察は、調べてみたらたくさんあった。私もやっぱりこの歌詞から煙と血が舞う戦争中の国を思い浮かべてしまう。そして冒頭の"限りある未来"というのが、今の平和な時代を生きる我々のそれよりも短い期間であることに気付くと、歌詞のひとつひとつが命の儚さと平和の有難さを歌っているようで泣けてくる。
この歌詞から私が思い浮かべるのは、Green Dayの『Wake Me Up When September Ends』のMV。
全然別アーティストなんだけど、しかもこの曲の場合歌詞からは一切こういうシーンを連想したわけじゃないんだけど、でもだからこそ、初めてこのMVを見た時は衝撃的で、泣けて、とても印象に残っている。スピッツの楽曲にこの映像を重ねて思い浮かべてしまうくらいには。
"君"というのは、戦場で共に命を賭している同胞なのかな。その目に映る海の向こうには母国が、大事な人が待っているのかな。
"愛のことば"は、その人たちへ綴る手紙なのかな、でもまだ自分のその愛をことばにできなくて、命を削りながら探し続けているのかな。誰への"愛"を歌っているんだろう。特定の誰かなのか。そうじゃなくて、命を奪い合わなくてはいけない目の前の、もしくは見知らぬ異邦人への愛なのか。
"今煙の中で溶け合"っているのは、それこそ敵も味方もないその命なんじゃないかと。
"雲間からこぼれ落ちてく"神様たちは誰のことか。煙の中で、焦げくさい街で、"心の糸が切れる"時。想像を巡らせれば巡らせるほど、浮かんでくるのは辛い情景で。
"昔あった国の映画で一度観たような道を行く"
この一文からも、政治的な出来事を連想する。侵略やクーデターで、消滅した国々。そのうちのどれか。それぞれ独自の歴史と文化を持っていたはずの国。映画で観ただけの非現実的なその映像が頭から離れず、いつしか自分が同じような画の中にいる感覚。
草野さんはどの映画を想像してこの一文を書いたんだろう。
もちろん、単純に平和でありきたりな日常の風景を当てはめることもできる。私とは全く別の世界を思い描いている人もいるかもしれないし、リスナーの想像に正解も不正解もないはずだと思う。
でも一度戦場の風景が浮かんでしまうと、もうそのイメージを無視することはできなくて、ただただもう二度と、誰かの大事な人の命を誰かが自分の意志に反して奪うような世界が訪れないよう、爆煙の舞わぬ世界になるよう、改めてそう願わずにはいられない。
セピア色のMVにも、スピッツのメンバーが演奏している何もない大地にも、藻掻く虫にも、メッセージが込められているように思えて、ちょっと聴いているのが辛くなる瞬間もある。でも想像を止めてはいけない気がして、自分が生きている世界とは別のところにある現実を、寧ろいつ自分の世界もそうなるか分からないという現実を、受け止めなくてはいけないと思いながら聴くと、こんなに大衆的なメロディなのに、胸が痛くなる。
スピッツのFC会報誌を読んでいて、毎回草野さんの平和への祈りを目にしている。そんな世界でなければならないと思う。
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