「優しいスピッツ」の優しさとは何なのか
WOWOWで配信された「優しいスピッツ a secret session in Obihiro」という映像作品は、一ファンとして鳥肌無しには観られないものでした。
ゴースカでもないと聴けないようなセットリスト、でも8823や俺のすべてみたいな、ライブでゴリゴリ盛り上がる曲は省き、ファンが聴きたかった曲を聴かせて魅せる流れで、なるほどこれはライブ映像ではなく映像作品なんだなと妙に納得。
その一方で引っ掛かるのが「優しいスピッツ」というタイトル。スピッツ自身では付けることは絶対無さそうなタイトルで、よく異議を唱えなかったな~というのが率直な感想。
優しいスピッツ、というかスピッツの音楽が優しいと感じている世間一般のイメージがあるのは分かるけど、元々スピッツが追い求めてきた音楽像の中に優しさって多分無いものだと思うんだよなあ。スピッツの持つ優しさって、結果として付いてきたものというか…結果としてみんなが紐付けたイメージだから、ライブとかツアー名だったら有り得ないと思うんだよね。
これがスピッツの作品ではなく、松居大悟監督という、別世界から来た人の作品だからこそのタイトルだし、スピッツも自分たちは演者という立場で受け入れたのかなって勝手に思った。
なお、多分私の中での「スピッツ≠優しい」の方程式の裏付けは、もちろんスピッツが元々目指したものがパンクロック的なものだということあるし、『優しくなりたいな』っていう楽曲があったり、「優しかった頃の心取り戻せ」っていう歌詞があったりするところにも関係がある。
でも元々の「パンクロックがしたい」っていう気持ちよりも今のスピッツが「スピッツというバンドを続けたい」という想いをより強く抱いているというのは結構歌詞にも出てる気がしていて、確かに優しさを感じるというか、心がじんわり温かくなるような歌詞になってきてるとは思う。
尖ったスピッツ、売れたいスピッツを経て、等身大のスピッツにどんどん近付いてきているというか…勿論それまでのスピッツもある意味“等身大”で、あの頃のような歌詞を今草野さんがかくのは、それはそれで難しいんだと思うんだけど。
出したくなかったシングルベストアルバムを望まぬ形でリリースすることになった…みたいな時代もあっての今の彼等が、「優しいスピッツ」とかいうタイトルを承諾しちゃうというそれ自体が私からすると「優しくなったなスピッツ」みたいなところもある。
ただ、セットリストが「優しい」かといえば決してそうでもなく、各時代のスピッツらしい曲を満遍なく並べているなという感じがした。
優しいところだけ切り貼りしたようなセトリじゃなかったのは嬉しかったし、スピッツにはずっとそうあってほしいという気持ちもやっぱりある。
ここからは余談。
三輪さんが如何にかっこよかったかは観てた時が一番刺さっててツイート済みなので置いておくとして…
ライブで聴いたことない曲多くて、それが聴けたのは嬉しくもあり、これからのライブで生で聴きたいなという気持ちもあり。
ライブで聴いたことある曲は、運命の人なんかはライブとかフェスとか行き始めた頃にスピッツがよく演奏してくれてたけど最近セトリに入ってこなかったからまた聴けて嬉しかったし、未来コオロギは、ちいものツアーで聴いたのいつだっけ?と思って調べたら2014年、ということは8年前…ちょっとギョッとした…。
私としては、「大好物」と「ありがとさん」が近年のスピッツが辿り着いた「スピッツらしい音楽」という認識なので、大好物を演奏するところを観られたのも嬉しかった。これもまた生で聴きたいやつだなあ。
まあスピッツは絶対また会える機会を作ってくれる、スピッツもそれを望んでいると確信しているので、こちらとしてはとにかく自分自身が健康でいることに気を付けつつ、世界が早く落ち着くこと、スピッツが健康でいてくれることを祈るしかない…。
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