あの潮風の匂いを思い出せない。
こんな日が本当に来るとは、願ってはいても思ってはいなかった。
横浜サンセット2013が、YouTubeで公開されました。
インターネット上にある映像にも関わらずこんな画質・音質で視聴できるなんて、素晴らしい時代だなと痛感する。
本当は円盤化してほしい、とこの7年ずっと思っていたけれど、公式が円盤化の予定はないと断言していたので、2015年に全国の映画館で劇場版が上映された後は、抱いていいのかどうか分からない、「また見たい」という希望を、ただただ捨てられずにいた。
音楽について無知な私は「スピッツと私」について書くことしかできないのですが、それでもこの映像を見ながら次々と溢れた私の想いを、他の誰でもなくひたすらに自分のために書き記しておきたい。
映像を観ながらふと、何故スピッツが好きなんだろう、と考えた。
死にたいと思った時にスピッツの音楽に励まされたわけじゃないし、失恋した時にスピッツの音楽で立ち直ったわけじゃないし、恋に落ちてスピッツの音楽ばっかり聴いていたわけでもない。
ものすごく歌詞に共感するわけではないし、特定の曲の演奏に痺れたわけでもない。
ただ気付いたら好きだったし、好きなことを後悔したりその気持ちを疑ったりしたことは一度もないし、度々そんな自分に対して、「スピッツをずっと好きとかセンス良すぎるな」と感心している(まじで)。
聴く曲聴く曲を好きになって、好きになってみたらメンバーの人間性まで良くて、ライブに行ってみたらめちゃくちゃ楽しかった、というだけなのに、『横浜サンセット公開します』というお知らせ見ただけで心臓が跳ねたし、映像観ながら溢れるいろんな感情で動けなくなり、涙がこみ上げてきた。
この「好き」の根源にあるものはなんなんだろう。ただただ気付いたらそこそこの大きさでその場にあって、どんどんどんどん大きくなって、もうどうしようもなくなったという感じ。
その中で、敢えてひとつ「好き」が加速したポイントを挙げるとしたらやっぱり、横浜サンセットになるのかなあ。
何故好きなんだろう、という問いに特に答えがあったわけじゃないんだけど。やっぱり好きでよかったと心から思うし、好きになったのは必然という気もする。
再生中に常々思ったのは、現地にいたし映画館にも2回は観に行ったのに、記憶にないことばかりだなと。
5曲目にはもう空がこんなに暗かったんだ、とか
三輪さんのハット、柄あったんだ、とか
些細なことは覚えているのに。
チェリーの時に近くで誰か倒れたな、とか(周りの声で気付いただけで見えなかったけど)
少し前にいた黄色いTシャツのお兄さんがノリノリで楽しそうだったな、とか
あの日あの瞬間はものすごく感動していて、ライブ終わるな、感じるものすべて記憶に留まれ、って思っていたはずなのに、終わった瞬間からどんどん記憶は薄れていって、もう今ではほとんど実際には記憶から消えてしまっていたんだなというのを実感した。忘れている、ということを自覚するたびに落胆した。
横浜サンセットは、私にとって初めて参加したスピッツのワンマンライブだったから特別なもので、もちろんセットリストが良かったとか時期・ロケーションが良かったというのもあるけれど、とにかくその特別感から「このライブのあの空間を忘れたくない、何度でも観られる環境にあったらいいのに」という気持ちがずっとあった。
でも気付けばそれは横浜サンセットに限った話ではなくて。当たり前なんだけど、全てのライブが特別で、一度きりで、どの瞬間も本当は忘れたくない。ツアーの一公演も、フェスの一ステージも、どの時も私は楽しみにしていたはずだし、スピッツの音楽を同じ空間にいながら聴くという経験ができる回数というのは、どんなに長く生きたとしても自分が望むほど多くはない。例え短いパフォーマンスだとしてもそのすべての瞬間を楽しみたいし、すべてを覚えていたい。体験するすべてを糧にして、他の時間を生きたい。
でも現実には、私はあの日の潮の香りも、湿った風の感触も覚えていない。
いくらライブ映像をYouTubeで何回観て同じセットリストを聴くことができたとしても、あの日に感じた全てを思い出すことはできない。もちろん今までに行った他のライブに関しても。映像の最後の花火を見ていたらその事実を痛感するようで苦しかった。ひとつひとつの花火が光っては散っていくのが、まるで自分の人生の中で行けるひとつひとつのライブが、実は決まっているその数が消化されていく様そのもののようで。
MIKKEのツアーが再開して、またスピッツのライブに行くことができたら、音が鳴った瞬間に泣くかもな。
音楽に助けられた人生じゃないはずなのに、スピッツに生かされてる気がする。
いつかおばあさんになって寝たきりになったとしても、視覚と聴覚が機能し続ける限りこのライブ映像を見続けたいなあ。
スピッツと同じ時代を生きている幸せを噛み締めています。贅沢かもしれないけれど、まだまだ生きられますように。その音楽に、その存在に、心からありがとう。
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