〈猫ちぐらの夕べ〉に行けなかった私の強がりと隠しきれない絶望
2019年12月に、横浜アリーナで参戦したMIKKEツアーの公演以降、スピッツに会えていない。スピッツ自体、今年1月にMIKKEツアーのアリーナ全公演を終えて以降、3月から始まるはずだったホール公演すべての日程を延期しているので、ライブを行えていない。
そんな中で、11/26に行われたスピッツの一日限りのコンサート〈猫ちぐらの夕べ〉は、最大収容人数8000人の東京ガーデンシアターを会場とし、更に感染予防対策として、参加者数を会場キャパの半分以下とした。チケットの申込みはFC先行無しの一般抽選、一次選考と二次選考のあとはリセールのみ。当たる気はしなかったが、やっぱり当たらなかった。当たると思っていなくても、落選メールが届く度にそれなりに落ち込んだ。
Twitterを眺めていると、そんなにフォロー数もフォロワー数も多くないアカウントでも当選した人の喜びの呟きが流れてきて、はあ…と思わずにはいられなかったけど、それでもベルゲンの会報を読んで、これはファンのための公演ではなく、スピッツ自身がこれから音楽活動を続けていくために、今の状態を打破するために踏み出さなければいけない一歩なんだと理解し、そう考えることで自分を納得させていた。
とは言ってもやはり、こんなに日常が変わり果ててしまった今の日々を生き抜く上で、心のモヤモヤをスピッツの音楽で少しでも晴らしてほしかったと個人的には思ってしまうし、その上で他の人の当選ツイート、感想を見るのはめちゃくちゃ辛かった。
ライブ後に我慢できずセットリストを見てしまい思ったのは、あまりこの時期には寄せなかったんだなということ。コロナの状況からライブではなくコンサートという形を取り、比較的ゆったりめの曲を演奏するということは申込みの段階から周知されていたので、なんとなくもっとコンセプチュアルなセットリストになるのかと思い込んでしまっていた。前向きな歌詞の曲が多くなるのかな、とか、歌詞に「さよなら」が出てくる曲は演奏しないんじゃないかな(これは「田舎の生活」を私がいない場で演奏してほしくないというエゴから、自分自身を慰めるためだけに推察した)、とか。でも楓やってた。きっとシンプルに今の状況で楽しめる楽曲を選んだのだろうなと勝手に思いました。
ただ、東日本大震災直後のスピッツを象徴している「小さな生き物」、セプテンバーイレブン直後に作られている「ハネモノ」はちゃんと入っていたので、やはりあの2曲はスピッツにとって困難や苦難を乗り越えるための、でも忘れないための音楽なのかなと思った。いつか今のこのカオス的状況を振り返った時、「猫ちぐら」もそんな時代を象徴する一曲になっているんだろうな。
猫ちぐらの夕べが終わってみれば別に、行けなかったライブなんてこれが初めてでもないし、私からすればそのうちのひとつにすぎないという気がしてきた。何よりも今回大事だったのは、スピッツがこの数ヶ月ものすごく葛藤し思い悩んだであろう中で、ひとつの形あるものとしてバンド活動を行えたという、その一歩を無事踏み出すことができたということ。そしてきっとこの一歩がこれからの活動に繋がっていく。これからがある限り、私は私がライブに行けるその日を楽しみにして生きていこうと思う(しかない)。
一番思い入れのあるライブと、一番楽しかったライブが異なるように。それぞれのライブで同等の嬉しさを得られると同時に新しい感情に出逢い、それを更新していけるから、今回行けなかったことをこれ以上気に病むことはないかなと思う(しかない)。
ただ、会える時に会いに行かなければ絶対後悔する。その確信に間違いはないと思ったし、きっと多くの人が同じように思っただろうから、今後ライブチケットの価値は上がるな…という別の絶望も生まれた。暫くは会場の収容人数に対してフルに観客を集めることはできないだろうし。スピッツがどんどん遠くなる。今までに行けたライブは幻なのかな?スピッツに会いたい。それが叶わない夢のようで、寂しいな。
0コメント